70歳までの就業機会確保が努力義務に?~年金よりも根深い終身雇用の暗部~

  1. 社会一般
  2. 539 view

2019年7月22日、参院選投開票の翌日に、時事通信がツイッターにて、下記の投稿をしました。

【速報】安倍首相は「70歳まで就業機会を確保する。年金の受給開始年齢を遅らせ、選択肢を確保する」と述べた

時事ドットコム 2019年7月22日 14:15

時事ドットコム内で記事化しているわけでもなく、「発言」のソースが全くわかりません。

しかしながら、「70歳までの就業機会確保」を「強制就労」に変換させ、70歳まで年金が受給できなくなるかのごとく、現政権への批判や与党に投票した方への罵詈雑言が広がりました。

いつ、どのような状況で述べられたものなのか、発言そのままなのか要約なのか。あまりにも無責任な報道でありますが、筆者のように労働法制に携わっている人間であれば、何についての発言かは想像がつきます。

今年5月、官邸主導の「未来投資会議」にて、高齢者の雇用促進として、既に70歳までの就業機会確保について、方針が決定していました。日経新聞などでも報道されています。

参考リンク:70歳雇用で企業に努力義務 政府の成長戦略(日経新聞)

では、未来投資会議にて方針が定まった「70歳までの就業機会確保」とはどのような内容なのでしょうか。

未来投資会議で方針決定された「70歳までの就業機会確保」の正しい内容

未来投資会議の内容については、議事概要や資料などが公開されています。5月の会議資料はこちらです。

参考リンク:未来投資会議 (令和元年5月15日の配布資料、1:高齢者雇用促進及び中途採用・経験者採用の促進 をご覧ください)

70歳までの就業機会確保とは、現在高年齢者の雇用確保措置として位置づけられている、「65歳までの雇用確保」の延長線上にあるものです。高年齢者雇用安定法という法律で規定されています。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の企業は正社員(無期契約者)について、60歳の定年を迎えた後も継続して65歳までの雇用が義務付けられています。現在は経過措置により、一定要件のもと、63歳までの雇用でもいい場合があります。必ずしも正社員のまま定年を延長させる必要はなく、嘱託社員などの名称で1年などの有期契約を更新する「継続雇用」を選択する企業が圧倒的多数です。この場合、職責が大幅に軽減され、給与も若手社員なみに低下する例も少なくありません。職責や給与が低下する件については、法律上は雇用の確保以上のことは規定されていませんので、何ら違法性のあるものではありません。ただし、シュレッダー係を命ずるなどの懲罰的な配置転換や、定年前と全く変わらない職務で給与が大幅ダウンとなっている場合などは、権利の濫用としての不法行為や労働契約法第20条(2020年4月からはパート有期法第8条・9条)違反に問われる可能性もあります。

労働を生きがいと捉える方、年金収入を補いたい方、理由はどうであれ、「働きたい方が働ける環境を」という目的で、この「65歳までの雇用確保」を70歳までに発展させようということです。

65歳までの雇用確保措置との相違点は、必ずしも雇用契約にこだわっていないことです。定年延長や継続雇用の他に、他企業への再就職支援や起業支援も含まれます。60代後半の方に起業支援??とも思いますが、あくまで選択肢の一つとして考えられるということです。

まずは努力義務から、そして年金受給開始年齢の引き上げは行わず

必ずしも雇用しなくてよいとはいえ、企業の人事管理としては大きなインパクトですから、まずは努力義務として規定する方針です。こういっては身も蓋もないですが、努力義務というのは事実上「やらなくてもよい」と読み替えることもできます。とはいえ、現行の65歳までの雇用確保措置についても、当初は努力義務から始まっていますので、この「70歳までの就業機会確保」も将来的な義務化を考えての方策でしょう。会議資料にも、その旨は明記されています。

なお、世間一般では一番気になることとされている「年金受給開始年齢」の引き上げについてですが、こちらは会議資料に「70歳までの就業機会確保に伴い、年金受給開始年齢の引上げは行わない。」との文言があります。その後に、「他方、年金受給開始年齢を自分で選択できる範囲(現在は70歳まで選択可)は拡大する。」とあり、これはいわゆる「年金の繰り下げ」のことを言っています。一時期、メディアでも報道されましたが、「希望する人については」70歳以降も繰り下げができる制度を検討していくということです。繰り下げを希望しない方は65歳から受給することが可能です(保険料を払っていることが前提の話です)。

もちろん、巷でよく言われているような「年金受給開始年齢の引上げ」について、未来永劫無いと言っているわけではないので、平均寿命の伸びや少子化の加速により、今後十分有り得ることとは言えるでしょう。ただ、現時点において法改正の動きはありません。

在職老齢年金(働く60代の年金調整)を見直す動きも

高齢者の活用を叫びつつ、一定以上の給与収入がある方について年金を調整(減額)する、「在職老齢年金制度」が働く意欲を削いでいるとの指摘があります。こちらは、一部報道によると、厚生労働省の社会保障審議機会にて見直しが検討されているとのことです。

参考リンク:稼ぐ高齢者の年金減額、見直しへ ただし原資は1兆円超 (朝日新聞デジタル)

強制就労とも年金受給年齢引き上げとも言っていない。では真の問題点は?

少々話がそれましたが、世間で騒がれているような強制就労でもなければ、懸念されている年金受給開始年齢の引上げの具体案が出ているわけでもありません。時事通信の「年金の受給開始年齢を遅らせ、選択肢を確保する」との報道は、前述の「繰り下げ支給を70歳以上まで選択的にできるようにすること」を指しているとすれば、明らかなミスリードと言えるでしょう。

未来投資会議で決定した方針は、今後厚生労働省の労働政策審議会で審議され、来年の通常国会での法案提出を目指すとされています。年金批判ばかりが目立ちますが、この「70歳までの就業機会確保」の奥に潜む問題点は、年金ではありません。

以下、真の問題点についての解説です。

①制度の対象が正社員として定年を迎えた人だけである

繰り返しになりますが、「70歳までの就業機会確保」は、現行の65歳までの雇用確保措置(高年齢者雇用確保措置)の延長線上にあるもので、正社員(無期契約)として定年を迎えた人が対象です。60歳を定年として65歳まで嘱託社員として契約更新する会社であれば、さらにもう5年間継続雇用か再就職支援などの措置をお願いしますということです。

しかしながら、非正規雇用で収入の大半を稼いでいる方が珍しくないうえ、定年を機にセミリタイア的に軽い仕事へ転職する方も当たり前のように存在します。どちらかといえば、真に就業機会を確保してほしい方というのは、そういった方々ではないでしょうか。

本来野党はこのような指摘をすべきと思いますが、残念ながら観念的・感情的な政権批判に終始しているように見えます。立憲民主党と国民民主党は労働組合が支持母体となっていますが、組合員の大半が正社員であるため、この論点はあまり興味がない可能性もあります(これはあくまで想像の域ですが、組合員の大半が正社員であるという事実は労働問題において重要です)。

②終身雇用を維持したままの「定年延長」は、現役層の賃金カーブに影響する

現行の65歳までの雇用確保措置にしろ、今回議論に上った70歳までの就業機会確保にしろ、定年を60歳超へ引き上げることまでは求められていません。とはいえ、昨今の人手不足により、人材確保の観点から定年延長を行う企業も増え始めています。

事実、本年6月において、JR東海が定年を60歳から65歳に引き上げるとの発表を行いました。

参考リンク:定年の延長について (JR東海 ニュースリリース)

時代の流れで定年延長が増えているのね、アハハ。で終わる問題ではありません。企業の賃金原資は限られているわけですから、定年を延長する、つまりは継続雇用として安い賃金で働いてもらっていた60代前半の方を、「正社員待遇のまま」60到達時から据え置きの賃金で働いてもらうことにすると、その人件費の増大部分をどこかで手当てしなくてはいけないわけです。賃金原資を増やすという選択肢も当然ありますが、経営判断としてはかなり難しい場合がほとんどでしょう。となると、現役世代の賃金を抑えるという結果になります。

JR東海は、50歳以上の賃金の伸びを抑えるとしています。終身雇用を維持しながら定年を延長するということは、賃金カーブの変更につながるのです。

50代の人にとっては「重大な不利益変更」となりますが、代償措置として定年延長がありますし、労働組合との交渉もしておりますので、一般論としては就業規則の不利益変更として争いが起きることはないでしょう。起きても会社側は主張材料に困りません。しかしそれはあくまで法律的な問題であって、労働者としてはどう感じるか、特に賃上げを叫ぶ政治的意見は多いですが、この賃金カーブの変更についてはどのような位置づけになるのか、という問題は別にあります。

最近日本を代表する企業の経営者が「終身雇用は限界である」という趣旨の発言をして話題になりました。60歳どころか65歳、果ては70歳までの雇用ともなると、定年延長が義務ではないにしろ、シニアのモチベーションや同一労働同一賃金の要請から、ある程度の賃金水準を維持しなくてはならず、人件費負担も人事管理の負担も重くのしかかってくると考えられます。

日本の雇用慣行は職能給といって、仕事内容ではなく、本人の発揮できるであろう能力に対して給料が支払われる制度です。これに終身雇用がプラスされ、若い時は働いた分よりも低い給与、中高年になると働いた分より高い給与をもらい、定年時に均衡します。早期セミリタイアを考える人や、転職を当たり前と考える人には、いささか損に感じる制度です。賃上げを考えるならば、この点に切り込んでもらわなければいけません。別記事にも書きましたが、賃上げが難しいのは「就業規則の不利益変更」が難しいこともありますし、正社員の解雇が異様に難しい、事実上できない点にあります。それにプラスして、この終身雇用の賃金カーブという問題。本来「日本型」同一労働同一賃金を考える際に、終身雇用の維持と多様な働き方の促進が共存するという歪な構造に、議論を活発化させることが必要だったと感じますが、まずは理解の得やすい上限規制と、有休5日取得義務、そして「日本型」同一労働同一賃金の3つを優先させたといったところでしょうか。

解雇規制緩和による雇用の流動化、終身雇用へのメスというのは、一般的心理では受け入れがたく、与野党ともに議論したくない問題なのかもしれません。




流浪の社会保険労務士

1983年生まれ。最後の氷河期世代。大企業向け社労士法人で外部専門家として培った知見を活かし、就業規則・人事制度・労務手続フローなど、労務管理をデザインする。社労士法人退職後は、シリーズAの資金調達に成功した急成長中ベンチャーに入社。2年後のIPOを見据えた労務管理体制をゼロから構築した。その後、M&Aに積極的な東証一部上場のIT企業にて、前例にとらわれない労務管理体制の改革や新制度の導入、グループ会社に対する労務管理支援を行う。

記事一覧

関連記事

男性の育児休業

男性の育児休業取得率6.16%の真実

平成30年度雇用均等基本調査による取得率は6.16%本年6月、厚生労働省が実施する雇用均等基本調査(速報版)の結果が公表され、昨年度の男性の育児休業取得率は6.…

  • 169 view

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。