ジョブ型雇用は時間でなく成果で評価?移行への障害が時間管理?~非論理的な主張は意識高い「系」へのマーケティングか②~

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前回の続きです。できれば、前回記事から読んでいただけたらと思います。1回だけならまだしも、短期間でリモートワーク(テレワーク)にかこつけた非論理的な主張を繰り返すことはいかがなものかと、苦言を呈しないわけにはいかないとの思いから、この文章を書いています。6月8日に続いて、またもやよくわからない論説が掲載されました。

日経新聞2020年6月18日:「コロナと企業」変わる土俵(3)もう時間に縛られない。

「出社は仕事にあらず」という、昭和型価値観への揶揄ともとれる副題がつけられた記事の要約は以下の通り。

“とある30代女性は、幼児2人の面倒をみながらの辛いテレワークを強いられていた。会社は、テレワークでも8時~17時半までの勤務を求めた。コロナをきっかけに広まるテレワーク。オフィスと同じように、時間で縛る働き方は難しい。カルビーでは、本社勤務のほぼ全員がテレワークにシフト。2009年から成果主義を取り入れてきたので、移行はスムーズだった。富士通、日立製作所もジョブ型への移行に積極的に動いている。日本では、戦後にできた労働基準法が会社に対して労働者の働いた時間を管理するように求めてきたこともジョブ型が広がらない要因になってきた。工場労働を前提とした「時間給」に縛られては、日本は世界から取り残されかねない。働き手を時間から解き放つときが迫っている。“

はい、前回のエントリーを読んでいただいた方にはおわかりと思いますが、全く持ってめちゃくちゃな論説です。見事なまでに、全てが繋がっていない酷い記事です。これ、意図的に切り抜いたわけじゃないですからね。日経電子版を購読されている方なら全文を読めるので、そこは原文を見て判断してくださいということになりますけれども。

本当に何度も繰り返していますが、なんで労働時間管理がジョブ型移行の障害になるんですかね。強いて言えば、「ジョブ型はスキルや知識をどう身に着けさせるかが課題」といった文言があるので、いわゆる自己啓発を労働時間カウントするか否かについての問題提起なのでしょうか。それならそう書くべきだし、その問題はどちらかといえば時間管理というよりは、労働時間上限と、労働時間判定の問題です。いずれにしても、そこの説明が全くない。説明が全くないのに、なぜ意識高い「系」の方たちは、納得してしまうのでしょう。やっぱり中身がないからなのでしょうか。あえて非論理的な主張をすることで、「まあ俺たちにしかわからないさ」といった空気をつくり、そこの同調圧力に負けてわかったふりをする意識高い「系」を大量に釣るための壮大なマーケティング計画なのだろうかとすら思います。労働時間管理はジョブ型移行への障害とはなりませんし(別軸の問題なので)、ジョブ型=成果主義でもありません。また、オフィスワーク時と同じ勤務時間を求められて辛かったというくだりについても、それは個々の会社の労務管理上の問題であって、労働時間管理が悪いとの論説には繋がりません。そもそもこの女性は、いつ働けたらよかったのでしょうか。深夜、子供が寝静まったころ、ちょちょっとPCで数時間資料作成して、はい成果をあげられました。これで給与に見合った貢献ができました。ということが可能な、スーパーウーマンなのでしょうか。だとしたら、そんなスーパーウーマンが世の中にどんだけいるのよっていう話です(無論、男性も含めた話です)。それとも、ジョブ型に移行すれば、そんな高度なホワイトカラーが量産されるとでもいうのでしょうか。ジョブ型はそんな都合のいい打ち出の小槌じゃないよって話。もう本当に何を言っているのかさっぱりわからない記事です。

たちが悪いのは、敢えて太字にした文章です。太字部分は要約ではなく、原文ママの切り抜きです。“戦後にできた労働基準法” “工場労働を前提とした「時間給」” 間違ってはいませんよ。そのこと自体間違ってはいませんが、前後の文章とあまりにも繋がらないんです。単に、こういうことをのたまえば意識高い「系」が食いつくだろうと、取ってつけたような文章を作ったようにしか見えないんですよ。AIが意識高い「系」の文言をネット上から拾って、キュレーションした文章と言われても違和感がありません。

そして2020年6月20日、これもまた一面ですが、要約ではなく冒頭部分を抜き出します。

日経新聞2020年6月20日:「ジョブ型」に労働規制の壁 コロナ下の改革機運に水

“企業が職務内容を明確にして成果で社員を処遇する「ジョブ型雇用」の導入を加速している。新型コロナウイルスの影響を受けた在宅勤務の拡大で、時間にとらわれない働き方へのニーズが一段と強まっているからだ。在宅勤務の拡大で、時間にとらわれない働き方へのニーズが一段と強まっている。だが成果より働いた時間に重点を置く日本ならではの規制が変化の壁になりかねない。”

なぜ冒頭部分のみを抜き出したかというと、その後の文章が、一つ一つのセンテンスは正しい(必ずしも間違ってはいない)としても、それぞれが全くつながりのない事案であり、もはや要約ができない非論理的な文章だからです。最後に結局製造業をモデルとした古臭い労働基準法がよろしくないと締めています。私も決して、工場の作業員をベースに考えられた労働基準法が現代のホワイトカラーにマッチしているとは思いませんけれども、そこに至るまでのプロセスがめちゃくちゃであるということで、結局は「時間じゃなくて成果に応じて払う」という意識高い「系」が泣いて喜びそうな文言を使いたかっただけなんじゃないかと思うわけであります。で、冒頭の抜き出し文に戻りますと、「在宅勤務で時間管理が大変になる」というのならわかりますと前の記事でも言いましたが、時間にとらわれない(働きたいときに働きたい)というのは、「せっかくテレワークするならその方がいいよね!」というオプション的なものであって、絶対的に求められることではないだろうということです。育児・介護との両立というのは、テレワーク以前に課題として挙がっているものであって、例えば単身世帯のテレワークにおいて、フレックスですらない一般的な9時~18時などの勤務であったとしても、いったい何の支障があるのかといったところで、一挙手一投足を監視されるような事例を出して、窮屈だ!がんじがらめの規制だ!とのたまうのはいかがなものかと思うわけです。それはあくまで、個々の会社での労務管理の話。あと、そこに育児や介護で大変な人を利用するなと。とにかく「脱時間給」と念仏のように唱えたいプロパガンダに利用するなと言いたい。仮にそういった方々を労働時間規制から外し、責任度の高い仕事は任せられないと簡単な役割しか与えられず、ジョブ型だからといって減った実労働時間以上に給与が減らされたとして、それが社員にとって納得度の高いものかどうかといえば違うでしょう。

そして、それ以上にやっぱり突っ込みどころとして出現するのが、太字部分です。もう何回目になるかわかりませんけれども、時間単価をもとに給与を算出する制度がジョブ型の障害になることはないし、ジョブ型=時間にとらわれない働き方でもないわけです。どうしてこんな論説が出てくるのか、さっぱりわかりません。同一労働同一賃金が欧米のそれとは違い、「日本型」同一労働同一賃金であるように、ジョブ型も「日本型」ジョブ型雇用でもつくるつもりなんでしょうかね。おそろしく語呂が悪いですけれども。「日本型」を模索すること自体は悪いことではないですが、だとすれば、まずその「日本型」の定義をハッキリとしてもらわなければいけないわけで。

“なんでもかんでもジョブ型って言えばいいわけじゃない。こういうのを見ていると、この日経記者さんは、日米欧の過去100年以上にわたる労働の歴史なんていうものには何の関心もなく、そういう中で生み出されてきた「ジョブ型」システムというものの社会的存在態様なんかまったく知る気もなく、ただただ目の前の成果主義ということにしか関心がなく、それに都合よく使えそうならば(実は全然使えるものではないのだが)今受けてるらしい「ジョブ型」という言葉をやたらにちりばめれば、もっともらしい記事の一丁上がり、としか思っていないのでしょう。”

濱口桂一郎さんのブログ <hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)>より

まあ、初めから濱口さんのブログを参照してくださいと言えばいいんですけどね、一般のビジネスパーソンとして、第一線で労働法制・人事労務分野に関わっている者として、やはり自分の言葉で伝えたいという思いがあります。。

もう一つ、ブログ内の含蓄のあるわかりやすいセンテンスを引用すると、

“最近のときならぬ「ジョブ型」の流行で、ちゃんとした労働関係の本なんかまったく読まずにこの言葉を口ずさんでいる多くの人々に、とにかく一番いい清涼剤を処方しておくと、

「ジョブ型」の典型は、アメリカ自動車産業のラインで働くブルーカラー労働者である

これ一つ頭に入れておくと、今朝の日経記事をはじめとするインチキ系の情報にあまり惑わされなくなります。“

濱口桂一郎さんのブログ <hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)>より

なるほど、こういったインパクトのあるコピーは説得力ありますね。私みたいに理屈をつらつらと書き続けるよりは、もう段違いに。当たり前ですけど。

とにかく、労働法制に対する日経新聞さんの記事には、非論理的な意識高い「系」ホイホイとなる記事が多いので本当に要注意ということです。厳しい労働時間管理が求められることについて苦言を呈することは全く持って結構なのですが、そもそもの前提条件や言葉の定義がむちゃくちゃな状態で、議論も何もあったものではありません。事例として使用される大企業も被害者ですよ。

もちろん、ホワイトカラーエグゼンプションや日本で法制化された高度プロフェッショナル制度について、「残業代ゼロ法」などのレッテル貼りによって議論に値しないものであると片付けようとする方々も、いかがなものかと思います。

ここで一つ、日本の非正規雇用者も一種の「ジョブ型」であるというお話をしたいと思います。

ジョブ型でない、職務無限定で働いているのに賃金が低く抑えられている非正規雇用者がいるとすれば、それは一般的な非正規雇用者以上に虐げられているといえます。日本の非正規雇用者は、給与の上限が低いわけで、いくら限定された職務と役割の中で「突出した成果」をあげようとも、非正規である以上は限界がある。待遇を上げるには、職務と配転が無限定である正社員に登用するしかない。時間的制約のある方にとってみれば、あまり魅力的に映らないこともあり、結局はそこのバーターとなってしまう。正社員はメンバーシップ型で職能給(前記事:ジョブ型雇用は時間でなく成果で評価?移行への障害が時間管理?~非論理的な主張は意識高い「系」へのマーケティングか①~参照)、非正規はジョブ型(厳格な職務限定型とは言えない場合が多いとしても)で職務給(やはり前記事参照)という特殊な構造であるからこその歪みともいえ、そこに割って出現してきたのが「限定正社員」という存在です。限定正社員は、職務はともかくとしても、配転の可能性が限定され、残業無しや短時間勤務などの働き方を選択できることが多いです。これも(ほぼ)ジョブ型といっていいでしょう。職務は日本的に曖昧ということもあるので、欧米のそれとは全くのイコールと言えないかもしれませんが、正社員よりは役割が限定されている存在であることは確実です。

で、ここで非正規雇用や限定正社員の給与はどう決めたらいいのでしょうか。時間ではなく、成果で決めた方がいいのでしょうか。非正規のホワイトカラーも当たり前に存在しますが、多くや接客や作業などの、「そこにいること」が重要な人たちです。(月給制も含め)時間単価を定めることに適しているかどうかは、職務によって変わってきますので、ジョブ型かどうかは関係ないことになります。「ジョブ型移行の障害が労働時間管理である」というのは、全くとんちんかんなお話ということです。

最後に、特定の新聞記事についての言及だけでは能がない(いまいち役に立たない)ので、「ジョブ型=成果で処遇」でないのならば、なぜここにきてジョブ型が求められるのかを説明したいと思います。

関連記事:ジョブ型雇用は時間でなく成果で評価?移行への障害が時間管理?~非論理的な主張は意識高い「系」へのマーケティングか①~

関連記事:ジョブ型雇用は時間でなく成果で評価?移行への障害が時間管理?~非論理的な主張は意識高い「系」へのマーケティングか③~

流浪の社会保険労務士

1983年生まれ。最後の氷河期世代。大企業向け社労士法人で外部専門家として培った知見を活かし、就業規則・人事制度・労務手続フローなど、労務管理をデザインする。社労士法人退職後は、シリーズAの資金調達に成功した急成長中ベンチャーに入社。2年後のIPOを見据えた労務管理体制をゼロから構築した。その後、M&Aに積極的な東証一部上場のIT企業にて、前例にとらわれない労務管理体制の改革や新制度の導入、グループ会社に対する労務管理支援を行う。

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